著作者の権利と言うけどさぁ・・・(雑文)

※以下は雑文です。臼井が適当に書いているだけなので、ムキになった反論はくれぐれもしないように(返事しないからな)
※写真(カッコよくなったニュー東京駅)と本文は関係ありません

興味本位から、著作権をめぐるシンポジウムに参加させていただきました(僕は見るだけ)

現場の方々や一線の研究者の話が聞けて、めちゃくちゃおもしろかったのですが、結論から言うと、僕は著作権という考え方にあまりピンと来ていません。

もちろん、作者の権利は守るべきだし、不当な商売は取り締まるべきです。しかし、それは「商売一般」としての当然のルールであって、「著作権」という崇高な概念を持ち出すほどのことではないよなーと。

また、過剰な精神論も謎です。「この作品には一生の情熱をかけた」とかよく聞くけど、それを言ったらサラリーマンだって自分の立身出世をつねに賭けているのだし、運転手なんて、一つ間違えれば他人の一生を台無しにするリスクとつねに対峙しています。

作家だけが特別ってことはないし、よしんば作品(昨今の言い方だとコンテンツ?)を大事にするなら、じゃあ、衣装屋さんの権利は?小道具屋さんの労力は?大道具屋さんの低賃金は?カメラマンの徒弟制は?

マネジメント側の従業員だって、安い給料で長時間働いているのは同じだぜ?プロモーターだって、寝る時間を割いてチラシやプログラムの校正しているぜ?作家だけが中心かぁ?と常に思うのです。

おもしろかったのは、ヨーロッパから来日していた著作権(英語で言うならCopyright)の研究者に直接に質問したときなのですが(このひとは誠実な方でした)

う「著作権って概念はいつできたの?」
ヨ「フランス革命のときだよ。それまではひとは自由に仕事を選べなかったけど、それ以降は選べるようになった。ゴニョゴニョ(※詳細聞き取れず)」
う「じゃあ、バッハやモーツアルト著作権あったの?」
ヨ「なかった。彼らは著作権を持っていない。彼らの時代は、彼らの雇い主、王様、宮殿、貴族、クライアントから支払われている」
う「(ゴルドベルグ変奏曲は典型だよなーと内心思う)」
ヨ「彼らの時代は身分と職能が固定されているから・・・」

というわけで、まるでミシェル・フーコーの人権(人間)の誕生みたいな話なのですが、それはいい。
バッハやモーツアルト著作権がないって知っていました?僕は初耳でしたよ、ビックリ!だはははははは。

つまり、著作権について論じるなら、

1)当面の支払
2)継続的な支払
3)継続的な支払の時限(いつまでも払ったら遺族が得するだけだぜ?)
4)著作権という概念の把握
5)著作権という概念の現代への適用
6)著作権を適用しても、どこの誰までを範囲とするの?エキストラや小道具屋さんまで権利あるの?
7)仮に払うとしても、じゃぁその月々のお支払いを誰のコストでやるの?誰にでも支払っていたら、口座振込手数料だけですべてがパンクするぜ?

と次元と議題を分けてしないと、感情論になって効率が悪いだけだし、ただし、そーやって論じていても現場は進むし、それじゃ著作権を論じているひとたちへの給料の支払いはどうするの?そこに権利は発生はどうするの?それはいつどこで取り決めるの?

と、観測者のパラドクスや不完全性定理のような事態なのです。

どうしたらいいんでしょうね?

困ったねこりゃ(-_-#

※付記
著作権を論じる難しさは、その権利と利益を持っている人が既に多数おり、産業化もなされている事実に由来するんですよね。
どうしてもそのひとたちの利害、平たく言うなら「オレの収入が減るじゃないか(どうしてくれる!)」になってしまい、他の社会的議題と違い、冷静な議論がしづらいんだよなー

※付記2
いっそのこと、著作権なんてなくしたほうがいいのかなぁ。なまじ中途半端に認めているから、甘い汁を吸う中間業者が現れるわけで、「最初からありません!」とある日宣言しちゃえば、自分は何もしてないのに高い金属つけてるバカも減るわけで・・(^_^;

※付記3
建築物とフリーソフトはどうしているのでしょうねー?ガウディの建物に入ってもガウディ遺族にカネはいかないし、払っているのは維持費でしょ?というか、グーグルはタダで提供しているけど、利益出せているぜ?他業界の事例研究のほうが先だと思うんだよなー
(もう寝ます)